こんにちは、壱号です。
ブログのスクリプトをMovable TypeからWordpressに変更しました。
近日、http://www.ichigou.jpからリダイレクトされる先をWordpressに変更します。
壱号Wordpressのアドレス(現在稼働中)
http://www.ichigou.jp/mayoiwp/
これまでのコンテンツはすべて引き続き掲載しています。
また、新Wordpressサイトはスマートフォンに対応させました。
どうぞよろしくお願いいたします。
壱号
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壱号
娘が「涼宮ハルヒの憂鬱」1巻を買ってきた。

インターネットというのはそれそのものが巨大なSNSのようなものだ。
IIJが日本にインターネットの接続点を持って以来、かなり初期から私はインターネットに関わっている。(水道橋にトランジットが構築されてから1年半後くらい)
仕事もそうだ。
国内のみでNiftyサーブなどがコミュニティサービスを開始し、ハイパーターミナルなどで「フォーラム」を渡り始め、オンラインの世界は今では社会インフラとしてこれが一般的にまでなっている。
まだホームページを持つことの意義と意味が問われていた頃から、インターネットを利用する様々な人々と色々なコミュニケーションを持ち、私のオンライン上での、私自身のありかたと関わり方は、すでにある形をなしているともいえる。
今更、薄甘いボロボロの透明な膜のようなSNSのコミュニティなど必要としていないのだ。
もう十数年もオンラインに関わりを持っているのだから。
ある目的があって様々なSNSを利用するのは、たとえば趣味の世界を広げるため、たとえば社会生活上の幅を広げるため、あるいはその目的が淋しさを紛らわすためだけであっても、それは有意義な参加だと私も思う。
現状のオンライン・コミュニケーションでほぼ満足できる私のようなへそ曲がりは、訪問を半ば強制したりされたり、運営側がそれを率先して推奨したりするGREEのようなSNSは、うっとうしいだけなのである。
そういう意味では、twitterは少しは使いやすい。もちろん、私のような感じ方をする者には、という前提が付くが。
ただ、twitterは直感的にわかりにくい部分がある。こういった対面型で無いソーシャル・コミュニケーションを行うための道具としては、作りが秀逸だとは言い難いところがある。
いずれにしても、SNSなどのコミュニティは自分が自分に合ったモノを選べばいいだけで、前のブログに書いたとおり、踊らされ続けて淋しくなっちゃう点を自覚できさえすれば、あとはお好きにすればいいと思う。
ブログはGREE、それにtwitterを連携させて、mixiで人間関係を深め、Facebookでリアルとヴァーチャルを繋ぐ(Facebookは実名が原則。ということは、リアル社会の人間関係であることが前提のサービス)
そんなITライフもいいのではないだろうか。
・・・・・・淋しくなっちゃわなければ。
昨日は忙しくて日中はほとんど使わなかったが、それでもこれだけもてば、もはやバッテリー容量が足りないとは言えないだろう。
出勤時に1時間半Bluetoothで音楽を聞き、帰りも同じ時間やはりBluetoothで使用、プラス、自転車での帰り道にスピーカーで聞きながら30分使用した。
もちろん日中もまるで触らなかったわけではない。twitterなどをちょこちょこチェックしたりブラウザを使ったりしている。
帰って充電前に残量を確認した時、20%だった。
使い方によればこれだけ持つという実例だろう。
さて、年末にパンクしたBianchiのタイヤチューブ。
ネットショップにて購入したけど在庫切れで別のものに変更してようやく到着。
通勤で2万kmほど走っているので、チューブだけでなくタイヤも交換。
チューブはSCHWALBE SV13 26x1.5-2.5(仏)。
タイヤは IRC Serac XC Tubeless(26x1.95)。
タイヤを取り出す。お約束のへろーん。
在庫切れはタイヤで、本当はチューブレスじゃなくていいんだけど、前々回はチューブド、前回はチューブレスにしてみて、まあどっちも使い心地は変わらなかったので、今回は扱いやすいチューブドでいいかと思ったら在庫切れ。
まあ、どっちでもいいか、ということで、今回もチューブレス。
Serac XCはずっとお気に入り。とにかく走行感が軽い!
通勤ルートは10kmで、なぜか途中に2ヶ所ダートが(笑)
もちろん、このタイヤであれば何の問題もない。
ブロックパターンで通勤車の方にはおススメ。
しかし、ブログ、twitter、Foursquare、はてなココ、それにGREEか。
もっと統一的にできないものかね。
まあ、ブログは日記や情報発信、twitterはショートつぶやき、Foursquareやはてなココは位置ゲー的SNS、GREEはかなり純粋にコミュニティって感じか。
統一的に、はムリだなあ。
これまでの携帯電話を機種変更してIS03を使い始め、39日が経過した。
スマートフォンは機能の拡張が柔軟に行えるため、自分の使いたい機能に合わせて機器の性質を変えることができる。
その点、PCに近いとも言えるだろう。
私は技術者ではあるが、学者や研究者、評論家ではないので、ITメディアの渦中に登場したスマートフォンが、どのような位置付けにあり、それは現在のIT環境の進化/変化の中でどのような性格のガジェットであるのかは、よく把握できていない。
ただ、今現在のリアルな自分の位置(物理的な地図上の位置)が情報としてITインフラの中に表され、それが他の情報と連動して様々な事柄が即時に有機的に新たな情報として自分に与えられるというのは、なかなか刺激的な体験だ。
おそらく、これまでITインフラより得られていたいかなる情報よりも、今現在自分が立っているこの場所で得られる情報が桁違いに大量に流れ込んで来るようになった、ということになる。
それを単に便利と感じるか、私のように空恐ろしいと感じるかは、人それぞれなのだろう。
今時の大学の卒業論文はGoogle検索で得られた情報の切り貼りで作れてしまうらしい。
が、中には丸パクリに近いものまで出現しはじめ、論文パクリ検出の文書比較アプリケーションを開発した大学まで出始めている。
インターネットがまだISDNで繋がれていた頃に比べ、今は身の回りに多量の情報が溢れ、私たちはそれをごく当たり前の得られる情報として使っている。
実は、私が恐ろしいと感じるのは、この多量の情報によりまかなえてしまう自分の身の処し方そのものであり、意識しないうちに知らず知らずと「考える力」が減退していってしまうのである。
論文の切り貼りと同じく、今、ここで必要な情報は、たとえ外出中であろうとも、瞬時にリアルタイムで大量に得られ、それを今ここで必要な状況に当て嵌めさえすれば、仕事も含めてほぼ社会的な用件は済んでしまうようになったのだ。
自分で考える力があまり必要とされなくなってしまった。
情報の切り貼りで生活ができてしまうようになっている。
東京都内で適当な山手線の駅で降り、自分の使っている銀行のATMはどこにあるのか、その情報を得るのにほとんど頭は使わずに済み、更にはそこへ行くまでの道程も判断する必要無く携帯の画面上に示される動くポイントを辿って行けばいいようになった。
橋本大也という人のブログに「考えないヒト - ケータイ依存で退化した日本人」という本(ベストセラーになった「ケータイを持ったサル」の著者が書いた本)の書評と本人の考察があった。
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/003680.html
その中で、
* * * * *
そもそも人間社会は他者の期待を自己に取り込んでいる部分が大きかった。「自分が本当に好きなこと、やりたいこと」は、他者や社会の期待にこたえることと密接な関係がある。自分はなにをすべきかを真に一人でみつけようとしても永遠の自分探しの袋小路に陥ってしまう。
* * * * *
というくだりがあるが、私もこれに強く共感した。
与えられる情報を元に、生活や仕事を"処理"するだけの日々が過ぎていくと、「何かが足りない」と感じ始め、それが嵩じると"自分探し"に出発したくなるのではないだろうか。
だんだん歳を取ってくると色々なものが面倒臭くなってきて、最近は以前ほど野外で過ごすことも減ってきているのだが、野外で生活するということは「生きるためのあらゆる判断と行動を自分で行う」という意味があり、IT情報インフラにどっぷりと浸かり過ぎている私のような人間にはいいリハビリになるような気もする。
が、それですら、テントだシュラフだバーナーだランタンだと、ネットで情報を集め、ネットで購入すれば家まで届けてくれて、キャンプを張る場所はネットで調べて予約もOK、SUVやミニバンに積み込んでキャンプ場に行けばシャワーや温泉やウオッシュレット付き水洗トイレ、様々な不足物資を補うかなり大型の売店もあり、フィッシング、ボート、カヌー、MTBクルーズ等々、屋外アミューズメントが来訪者を飽きさせない。
これでは野外生活で何を味わいたかったのか、行った本人が忘れてしまうのではないだろうか。
快適さのみを求めた結果、人間の欲する「自然」の部分をあちこち切り取って、それを味わうだけなのである。
"自然を感じる"ということは、その先にある人間の感覚に訴える身体的実感を得ることに本来の意味がある。
それを得られないようなキャンピングであれば、いっそのことジョギングでもしたほうがよっぽど「人間の身体的感覚」を実感できるのではないだろうか。
・・・・・・そうだ。思い出した。
アイザック・アシモフの「裸の太陽」だ。
私はあの小説にあった光景がちらついているのかもしれない。
おそらく、人間が行動する上で、「与えられる情報」と「自分のアタマで考える」という二つのバランスには綱引きのようなスレッショルド値(閾値)があって、今は与えられる情報側に傾きすぎているため、なにやらとらえどころの無い不満足感に苛まれるのではないだろうか。
少なくとも、私はそうだ。
もちろん、これまで相当な行動と努力が伴わなければ得られなかった「有意な知り合い」という友人は、現在ではSNSなどを通じて比較的誰でも簡単に得られるようになったという魅力はある。
そして、かなり気軽にそれらを切り捨てることもできる。
これは、ある意味人間関係における革命をもたらしたとも言えるだろう。
「友達を得る、友達を失う」
これが、現代ではとても気軽にできるようになっている。
端的に言えば「情報なんてたかがアウトバウンドで得られる要素なのだから、それをいかに使いこなすのかは本人の度量次第じゃねえか」と言う事もできるだろう。
しかし、いったい現代に暮らす私たちは、そうできているのだろうか。
モバイルガジェットで得られる超リアルタイムな情報とコミュニケーションを、いったい自分はそれをどう使いたいのか。それを使って自分は何をしたいのか。
問題はそこなのだ。
各社でサービスされているSNS等のオンラインコミュニティーは、この「それを使って自分は何をしたいのか」という部分を巧妙に演出してくれる。
だから、それを使う人は"自分の使いやすいタイプのSNSコミュニティーを選択する"という行動だけを行い、その先にある「何をしたいために自分はこのコミュニティーを利用するのか」という点は欠落している。
これらのコミュニティーは、「自分の"好き""嫌い"を投票でき、それらを比較できる」「自分でポイントした場所の、他の人のコメントを色々と見れる」といった"機能"を前面に出し、ほら、こういった便利な機能を使ってコミュニティーに参加できますよ、と誘う。
それは演出であり、その演出は「自分のやりたいこと」を一歩奥に押し込め、マスキングしてしまう。
結果、そこはかとなく匿名性に包まれた薄い人間関係が広がっていく。
どうやら人間というものはそれだけでは満足できない存在らしく、限りなく薄い人間関係だけにくるまれて満足できるのであれば、引き篭もりはリア充を羨んだりしないだろう。
人間は二次元のアニメ美少女だけで満足できるものではなく、リアル彼女が欲しいと求めるものなのだ。
さて、自分探しという罠のカラクリはこれで整理が付いたつもりだが、では、自分は何をすべきなのだろうか。
もちろん、そんなことは自分で考えやがれ。
そのためのツールであれば、スマートフォンのようなモバイルガジェットとブロードバンドに繋がれたPCは、超強力な武器になってくれるだろう。
■冤罪の可能性がある
すべての刑罰に冤罪はあるので死刑に限って反対する理由にならない。
さらに現行犯も死刑にできなくなる矛盾。
■命は取り戻せない
取り戻せないことを論点にするなら時間も取り戻せない。
ならば懲役も反対しなければダブルスタンダートである。
■死刑廃止は世界の潮流である
嘘。死刑廃止は90国、死刑存置は97国。
さらに、潮流とやらで内政を決定しなければならない理由は主権国家である以上まったく無く、仮にそうならば真っ先にあなたは9条の廃止と軍隊を持つように主張しなければダブルスタンダートである。
■抑止力が無い
嘘。非常に大きな抑止力があると証明されている。
(一件執行されるたびに殺人が5件減少する)
■国が殺人を容認するのはおかしい
刑罰は殺人では無い。正当な司法である。ならば懲役は監禁、罰金は恐喝になる。
■犯罪者にも人権がある
自然権以外の人権は国が保障したものであり国の法に反した者の人権を制限することは何も矛盾が無い。
■終身刑でいいだろ
日本の刑務所は"満員"を超えて116%の収容率になっている。場所が足りない。税金も無駄。
さらに、死刑になるような凶悪犯罪に対する罰がその程度では国民が納得しない。
国勢調査で8割の国民が死刑を望んでいると出ている。
■自分がいつか殺人を犯すかもしれないだろ!
犯しません。普通は加害者になることよりも被害者になることを心配します。
■刑務官がかわいそう!
職業選択の自由が日本にはあります。
■野蛮!
日本は世界のどの廃止国よりも犯罪率の低い国です。ちなみに廃止国は現場で射殺しています。
日本では正当防衛で撃っただけで問題になります。
■死んでいる被害者よりも生きている加害者を助けよう!そのほうがインテリ!
んなこと言ってるから支持が得られないんだよ、犯罪者の味方さん。
http://hyukkyyyy.blog61.fc2.com/blog-entry-1588.html
明けましておめでとうございます。
壱号
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