何かが変わってしまった

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どうもおかしい。
 
9月の大型連休が終わり、自分の何かが変わってしまった気がする。
 
きっと、あのクライミング教室だと思う。
 
クライミング技術は、私が長年取得したいと思っていたもののひとつだった。
つい先日、それに触れてみる機会があった。
クライミング教室の受講を希望し、実際に岩壁に張り付いてみた。
 
参加した受講生も先生もアシスタントの女の子も、みんな楽しい人々だった。
単独行が好きな私も、そのような気のおけない人々との触れ合いは嫌いではない。
高尾山のハイキングコースで白々しい"山の挨拶"にうんざりした気分も、今回はずいぶんと癒された気がした。
 
帰ってから今までの短い間にも、私はこれから出来ることを模索していた。
どうやって、これからのクライミング技術を練習しようか・・・
もちろん道具も必要だし、単独で練習するにしても最低限の安全確保が必要だし、そもそも手頃な近隣に練習できるゲレンデがあるだろうか?
あるいは手頃な近隣にクライミング技術を取得するために適当に利用できる団体はないだろうか?
(なんだか感じのワルイ言い方だな・・・)
 
道具といったって、そんなに簡単に揃えられやしない。
ハーネスも、シューズも、ロープも、カラビナやスリング類も、私のこづかいの中から費用を捻出しょうと思えば、何ヶ月もかかかるだろう。
 
* * *
 
いや、それよりも・・・

帰ってからこれまでの間、どうも、なにかがヘンだ。
うまく現実社会に適合できていない自分がいる。
なんなんだ、これは。
 
私はここしばらくの間、自分の思う野外活動ができていなかった。
MTBのTREKを手に入れてからは単独で近隣の野山を走り回ってみたりはしたが、
「自転車で走れるところ」という制約から、微妙な不完全燃焼状態だった。
もっとも、私がTREKで走るところは、フツーの人から見ればまさかここを自転車で走るわけじゃないだろ、という所が多いのだが。
アプローチで自転車を片手に崖をよじ登ったり、エスケープに自転車といっしょにシリセード、なんてのは常軌を逸しているだろう。
 
トライアル技を練習したり整備などでいじくるのはとても楽しいのだが、どうもそれだけでは焚き火にちゃんと火が着いていない状態のような感じがする。
 
* * *
 
クライミング教室で体験した岩壁は、私が想像していた通りの緊張と絶景と爽快感を与えてくれた。
たかが練習用の低めな岩壁だったが、私が求めていると自分で思っていたものを、ちゃんと具現化してくれた。
 
心が洗われた。
と同時に、私の心に小さな火を灯した。
 
平日に戻り、これまでとまったく同じ通勤電車に乗り、私と同じく都心に向かう人々を身近に感じたとき、それまでとは違う違和感を感じたのだった。
なんなんだ、これは・・・
私はその人々の中にうまく同化できていない自分を感じた。
 
クライミング教室で、私の中に溜まっていた人間社会の、それも汚い澱みの部分が洗われていて、ふたたびそれに触れた自分がそれを拒否しようとしている。
 
咳やくしゃみをする際に口元を押さえようとしないサラリーマン。
下着が見えてしまいそうなミニをはき、中年男を嫌悪の目で見るOL。その太腿を構わず凝視する中年男。
エスカレーターの列に割り込むおばさん。
会社のエレベーターで人が降りた瞬間にいらだたしく「閉」ボタンを連打する若い社員。
 
それらに再び自分の心が汚され、それらを全て拒否することは無理だと理解しているために、汚される自分の心を直視しなくてすむように、密閉度の高いカナル型インナーイヤホンでヘビーメタルを大き目のボリュームで鳴らしている。
そのためか、やや耳鳴りが大きくなっている気がする。いや、これは加齢のせいなのだろうか?
 
* * *
 
ストレス解消は結構なことだが、そもそも「ストレスを受け続ける環境が当たり前であるという前提」というところからスタートしてしまっている。
これは果たして正しいのだろうか?
 
現実に都会で暮らしていれば、ほとんどの社会人は気付かずにいるのだろう。
都会での暮らしに疑問を抱くことはないのだろう。
悲劇であるのは、都会人がその疑問に気がついてしまったときなのだろう。
 
* * *
 
おそらく、もう数日もすれば、この違和感は消えるのだろう。
そして私は、ストレスを受け続ける都会人に同化し、その汚さを同じく汚い手段で打ち消そうとする自分に戻っているに違いない。
 
なるほど。人間社会で生きるとは大変なことだ。
当たり前なことだが、様々な人間が同居していれば、様々な摩擦が生じてくる。
自明なことだ。
 
それに少しだけ弱い私のような人間が、単独行を求めたりするのだろう。
そう考えれば、私の感じる違和感も、私が思考する野外活動も、辻褄が合うってもんだ。
 
だから、あまり悩むことはないのかもしれない。
岩壁で感じたあの気持ちを忘れずに、そして心に灯った火を大切にしようとする気持ちがあればいいのだろう。
 
* * *
 
仕事から脱出できるわけでも、都会生活から脱出できるわけでも無い。
残念だが、それは無理だ。
 
ならば、自分の都会人としての冷笑とは別に、素直な気持ちになれる野外活動を指向してもいいだろう。
それが生きる実感に繋がっていくに違いない。

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